灯台放送ファン アーカイブ

2008 年 1 月 20 日

南房総の灯台めぐり(1)

Filed under: 南房総の灯台めぐり — admin @ 12:46 AM

先日、南房総の沖ノ島灯台、洲埼灯台、そして野島埼灯台をたずねたときの記録です。

1:プラン
JR東日本が、館山周辺のバス券もついた「南房総フリーきっぷ」というのを発売しており、船橋からだと5500円。これはずいぶんオトクかな・・・と思っていろいろ調べていると、館山から各灯台へ行くバスの便というのが非常に悪い。特に平日だと絶望的だということが判明。また、今回行こうとしている沖ノ島灯台など、クルマがないとどうしようも無い場所のようなので、電車で行っても結局、館山駅でクルマを調達しないといけない。

逆に、今年(2007年)7月、館山自動車道と富津館山道路を結ぶ君津ICと富津中央IC間が開通。館山までクルマで一気に行けることになったということもわかり、結局最初からレンタカーを借りて行くことに。

2:館山到着
toudai1-1.jpg富浦ICは高速の富津館山道路の終着点。ここから127号線に入るのだが、まず驚くのが道路の両脇に並ぶやしの木。

なんだか別の国に来た気分になる。まず目指したのはJR館山駅。ここで噂のくじら弁当を調達。1日限定30個の販売で、11時頃に到着した時点で残り8個。なんとかセーフ。

3:沖ノ島灯台

沖ノ島というのは、館山の南西、海上自衛隊の航空基地から海に向かって伸びた砂洲の向こう側にある。普通のクルマで砂洲を渡るのは無理なので、いったんクルマを降り、くじら弁当を携えて沖ノ島まで歩く。

toudai1-2.jpg
島全体が鬱蒼とした森になっており、入ってしまうとあまり「島」という印象が無いが、森を抜けたところにとても可愛らしい灯台が建っている。プレートを読むと『初点昭和46年1月』とあるので、結構新しい。頂上には太陽電池パネルらしきものもある。

kujira.jpg沖ノ島全体は公園としても整備されているようで、ピクニック用のテーブルもそこかしこにあったり、森の中のトイレは太陽電池パネルの屋根で結構清潔。海辺のテーブルで大変おいしくくじら弁当を食させていただきました。

また、平日ということもあってか、私たち夫婦以外に訪問者は皆無。青色、というよりは藍色に近いくらい晴れ渡った空、青い海、白い灯台、緑の森。すばらしい目の保養になった。

2008 年 1 月 1 日

南房総の灯台めぐり(2)

Filed under: 南房総の灯台めぐり — admin @ 12:47 AM

4:洲埼灯台
次に目指したのは洲埼灯台。房総半島の南端は釣り針を左に向けたようなかたちをしているが、その釣り針の先端にあるのが洲埼灯台。このあたりは民家が密集していてクルマを止めるのが難しいが、「1回200円」で自宅の庭を駐車場として開放している家があって助かった。

toudai2-1.jpg灯台は丘を登ったところにあり、遠くに三浦半島なども望める景色のいい場所。白亜の灯台もまぶしいが、なぜか印象としては灯台というよりは200円の拝観料を払って丘の上のお寺にでも詣でた気分。「丘」というのが、灯台のイメージ(先入観ではあるが・・)とそぐわなかったのかもしれない。

5:野島埼灯台
房総フラワーラインを通って野島埼へ。11月下旬だというのに、クルマの中が暑くなる。南房総というのがこんなに南国だったとは。
野島埼灯台というのは全国で15箇所ある「参観灯台」の1つで、内部を見学することができる。入るとまず目に入るのが『明治己巳年點燈』というプレート。(「點」の字はプレートでは下半分が「火」。明治2年のことらしい)となっているから恐ろしく伝統のある灯台だ。慶応2年の改税条約にもとづいて立てられた灯台で、観音崎灯台に次いで日本で2番目に点灯した洋式灯台らしい。

toudai2-2.jpg灯台上部からの眺めは絶景。伊豆半島だけでなく、大島や八丈島まで見える。視線を下に向けると、太平洋の荒波が砕ける岩礁が見え、これも美しい。灯台の隣に大きな鉄塔があり、上部でレーダーが格好良く、くるくる回っている。これは波高観測装置。そこから灯台に向けて貧相な?電線がつながっているが、これこそが、灯台放送の送信線だ。(写真だと中央に見える黒い線。本当は緑色。) また別の方向に目をやると、今では使用されていない霧笛の発生装置も見える。

ここには灯台資料展示館(きらりん館)というのも併設されていて、野島埼灯台の歴史などを学ぶこともできる。しかし本当に面白いのはこの展示物ではなくて、受付をしている職員のおばちゃんだ。とても愛想のいい人である。どうやらずいぶん昔から野島埼に勤務していたらしい。

toudai2-3.jpg実はきらりん館の前に巨大な霧笛(左の写真)が設置されており、「これはここで使っていたの?」と聞いたのが話のはじまりだったのだが、この巨大なものはわざわざ北海道の納沙布岬から運んで展示していること、そのとなりの半分朽ちた3連の霧笛は観音崎で使用していたもの、「ウチで使っていた霧笛とは形が全然違うでしょう?」など、とても詳しく説明してくれる、というか、説明が止まらない(笑)。
霧笛といえば石原裕次郎とか、犬吠ももうすぐ霧笛が廃止されて悲しいとか、色んなお話をきくことができました。

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