灯台守の恋

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フランスのブルターニュ地方に実在する、ル・ジュマン灯台を舞台にしたせつない物語。

1963年、アルジェリアからの負傷帰還兵、元時計職人のアントワーヌ(グレゴリ・デランジェール)が、新人灯台要員としてジュマン灯台に着任する。ブルターニュ地方というのはかなり排他的な土地柄であったようで、灯台守の人々や土地の男達からはずいぶん冷たいあしらいを受けてしまう・・というところから本編が始まる。

 政府が帰還兵のために用意してくれた選択肢は他にも財務局勤務など、ラクそうなものが色々あったにもかかわらず、アントワーヌが「好き好んで」最果ての地の灯台勤務を志願したというというのはアントワーヌの心の傷がなせる業だが、同時に、灯台というものが「心に傷を負ったものが行くべき場所」というイメージもあるのかもしれない。

調和の取れた田舎の生活、いわば感情の振幅があまり大きくない生活に慣れ親しんでいた人たちの中にアントワーヌという異邦人が入り込んだことが触媒になり、人々の感情の振幅が増大されてしまう。

その結果、それまで「心はひとつ。同じブルターニュ人」とお互いに思っていた人たちの中でも、異邦人を排除したい者たちばかりではなく、実は田舎の閉塞感に辟易していたことを自覚する者も出てくる。やがて、アントワーヌと友情を結ぶイヴォン(フィリップ・トレトン)、アントワーヌと恋に落ちてしまうマベ(サンドリーヌ・ボネール)は後者の典型だ。しかしイヴォンとマベは仲睦まじい夫婦でもあったのだ。

大変に繊細な映画で、ラフなストーリーを書いてしまうと興醒めかもしれないので、内容の紹介は以上にとどめる。もう少し詳しく知りたい人は実際に映画を見ていただくのが一番だが、2005年に日本で公開されたときの公式サイトを今でも見ることができるのでそちらを参照されたい。

とにかく驚くのはジュマン灯台の立地。なんと海の中に灯台だけがにょっきりと屹立しているのだ。船着場なども無く、要員交代は灯台からロープを垂らして行う。波風が強いときなどは、灯台に辿りつくことがすでに命懸けだ。(さすがに1991年からは無人化・自動化されたと映画の中で出てくる)

また、妙なところで興味を引かれてしまったのは、灯台守は休めない、気を抜けない仕事であると同時に日中の無聊を持て余す仕事でもあるという点だ。この映画ではイヴォンが勤務中に意味無く何十脚もの椅子を作り続けるシーンが出てくる。分刻みで刺激を求め続けることが多い現代人は、こんな環境に放り込まれると正常な精神を保つことが難しいかもしれない。

新・喜びも悲しみも幾歳月(映画)

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1986年の松竹映画、監督は前作と同じ木下恵介。主演は加藤剛と大原麗子。

前作が、生活感あふれるシーンが多いにもかかわらず全体にどことなく透明感が漂っていたのに対し、本作はリアルな現実感がある。

もちろんこれは前作の時代背景が戦前・戦中・戦後であり、現代人からすると別の世界の出来事であるかのような錯覚に陥るからであろうが、もうひとつ、登場する灯台の景色が左右している部分も大きいと思う。

前作では、石狩灯台とか女島灯台など、そこで生きていくこと自体がすでに大きな試練であるかのような灯台が強烈な印象を残した。過酷な生活に耐え切れずに亡くなってしまう婦人、戦争中に標的とされた灯台で殉職した人たちなど、「死」というモチーフもそこかしこに登場してくる。

しかし本作では、石廊崎、八丈島など、全体に明るいイメージの灯台が多いのだ。大原麗子の演じる「おしゃべりで明るい奥さん」もそのイメージを増幅している。大ざっぱにまとめると、本作は、前作ほどの厳しさは無く、「ちょっとしんみりするホームドラマ」ということになるのかもしれない。

ただ、灯台好きな人にとっては興味が尽きないシーンが多い。

石廊崎で加藤剛がデスクに向かって放送する灯台放送。「各局、各局、各局、こちらは、いろう、いろう、いろう。海上保安庁が、石廊崎灯台の、気象状況をお知らせします」という、聞き慣れた?フレーズが映画に登場してくるというのもちょっと嬉しい。

今でこそ大阪ハーバーレーダー以外は全て合成音声になっているが、昔は各灯台から、映画に出てきたような、こじんまりした放送施設を使って手作り放送していたのだろうなと思うと感慨深い。

また、豊後水道沖の孤島に聳える水の子島灯台。前作では遠景だけが登場し、船からそれを眺めるきよ子(高峰秀子)が夫(佐田啓二)から、「あんな灯台(に赴任するというのは)どうだ?」と問われて「ぞっとするわ」と答えていたが、本作では実際に水の子島灯台で仕事をしている男たちのシーンも登場する。

それ以外にも数多くの灯台が登場するが、前作で登場した灯台とほとんど重なっていないというのも色々と新しい発見ができて面白い。

喜びも悲しみも幾歳月(映画)

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1957年公開という、50年も前の映画の話。(木下恵介監督)

この映画、佐田啓二 (中井貴一のお父上)と高峰秀子主演で、当時相当に好評を博したようで、その後テレビドラマ化されること3シリーズ、さらには主演を加藤剛と大原麗子で「新:喜びも悲しみも幾歳月(1986)」というリメイク版が作られたほど有名な映画です。

なんでそれをここでご紹介するかというと、これはまぎれもない「灯台映画」であるからです。もちろん、灯台はあくまでもモチーフで、人生をテーマにした深い映画なのですが、戦前から戦後にかけて日本各地の灯台を守った灯台守の人たちの記録映画であるというような見方もできます。

なにしろ、主人公の生活の舞台として登場してくる灯台だけでも、観音崎灯台(神奈川)、石狩灯台(北海道)、女島灯台(長崎沖)、弾崎灯台(佐渡島)、御前崎灯台(静岡)、安乗崎灯台(三重)、男木島灯台(香川)、最後にもう1度御前崎灯台。

ワンショットだけ登場してくる灯台も含めると、大島、水子島(豊後水道沖)、金華山、塩屋崎、尻屋崎、犬吠埼、綾里崎。

原作は、「田中きよ」さんという、灯台守のご主人を持つ方が、1956年に「婦人倶楽部」という雑誌に発表した『海を守る夫とともに二十年』という手記だそうで、描写がリアルなのもうなずけます。(映画の、灯台守夫人の「きよ子」は、田中きよさんを示しているそうです)

で、見終わっての感想なのですが、灯台守の厳しい生活をリアルに描写した、一見、生活感あふれるシーンが多いにもかかわらず、全体に奇妙な透明感が漂っています。全てが身近な日本の出来事では無いような、さらにはこの世の出来事では無いような印象が強いのです。

灯台を守る、というのは、工場を守るというような人為のなせる業ではなく、まるで海の神様を祀る祠を守っているような錯覚に陥ってしまいました。

ストーリーそのものは、現代の感覚からするとやや抑制が効きすぎている感もありますが、そのことがなお一層、モチーフである灯台を際立たせているようです。一度ご覧あれ。

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