ニッポン灯台紀行(岡克己)

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和書で、ノンフィクションで、灯台にフォーカスした本というとこれまで古書を探すしかなかった中で、久しぶりに出た、いや、出てくれた灯台本です。2015年4月世界文化社刊。印刷は定評のある凸版。

前半の130ページ弱が全国100近い灯台のフルカラー写真集とその解説兼訪問記+アクセスガイドという体裁で、後半の50ページ弱に灯台にまつわる歴史やトリビアなどがわかりやすくまとめられています。

どの灯台の写真も思わず引き込まれるような美しさですが、それらはすべて写真家でもある著者が全国の灯台を渡り歩いて1つ1つ丹念に撮影したもの。いや、「丹念」というレベルではなく、途方もない労力の成果と言うべきでしょうか。

灯台というのはたいてい陸上からは到達しにくい場所にあり、全国各地の灯台を訪れるというだけでもかなりの努力を強いられます。この本のアクセスガイドにも「・・・下車、徒歩約1時間30分」などという記述が平然と並んでいます。氏の場合、現地に着き、灯台を撮影する構図をいろいろと試行するのはもちろんのこと、「灯台が美しく見える瞬間」までひたすら待つ、ということを繰り返されていたようです。

よく晴れた日の日中、青い海、緑の山と白い灯台というのももちろん美しい絵ではありますが、当然のことながら日中は灯台は光りません。かといって夜になってしまうと、灯台の写真を撮っても光しか写りません。いわゆる黄昏時、昼と夜との境界のとき、灯光と灯台が同時に美しく見える一瞬が切り取られてこの本に凝縮されているといえるかもしれません。

先日、たまたま氏とお会いする機会があったのですが、「灯台が点灯する瞬間」が好きだ、と仰っていました。なるほど。

この本の価格は1800円(税別)となっていますが、灯台好きの人にとっては安すぎる価格かもしれませんね。

潮騒(三島由紀夫)

shiosai.jpg 灯台、または灯台守が主題というわけではなく、灯台や灯台守がモチーフの1つとして描かれている本を上げていけばきりがないような気もしますが、この本については、是非とも取り上げたいと思って書いています。

三島文学の中では特異な位置付けの本らしいのですが、そのあたりの解説はググるといくらでも出てくると思いますので省略します。また、何度も映画化されていますので、映画をご覧になったかたも多いかもしれません。実は私は映画は見ていないので、あくまでも本を読んでの感想です。

とにかく、描かれている景色も、社会も、そして登場人物の全てが「清浄」なのです。もちろん、純愛小説で、主人公の2人の逢瀬を妨害する相手たちとの喜怒哀楽などもあり、貧しい島での所帯じみた描写も多くあります。が、登場してくる人たちの全て、悪役も含めて全ての人たちが、まぶしいくらいにまっすぐで、正直なのです。

自然と共存し、神を信じ、人を疑うということをしない。いくつか印象的な表現を書き抜いてみますと、まず、屈強な海の男である主人公、新治の、神社での祈り。漁の豊穣や、島の人々の幸福、母や弟の健康をまず一生懸命に願い、最後に、おそるおそる初恋の彼女のことをそっと願う。そして「こんな身勝手なお祈りをして、神様は俺に罰をお下しになったりしないだろうか」と心配するような男なのです。

また、新治の母の描写にも「・・・突堤まで行って波の砕けるさまを眺めた。彼女もまた息子と同じように、ものを考えるときには海に相談にゆくのである。」というくだりもあります。

西洋の小賢しい文明に晒される前の、古代の太平洋の島々の出来事だといわれても素直にうなずけそうな社会であり、人々なのです。以前読んだ大人向けの童話で、池澤夏樹の「南の島のティオ」という、ミクロネシアを舞台にしたこれまた純白な小説があるのですが、読後感はそれに近しいものがありました。

そして、それらの清浄な風景の中に実にしっくりと溶け込んでいるのが、島で最も眺めが良い2つの場所の1つとして描かれている燈台なのです。物語のラストは、島中の皆に将来を祝福された2人が、燈台長の案内で燈台を見学するシーンです。燈台の持つ、「清浄さ」というイメージが存分に生かされた小説のような気がします。

解説などを読むと、舞台になった歌島というのは、伊勢湾に実在する「神島」という島なのだそうです。この島は、取材に来た三島が川端康成に送った手紙で「目下、神島という一孤島に来ております。映画館もパチンコ屋も呑み屋も、喫茶店も、すべて『よごれた』ものはなにもありません。この僕まで浄化されてー。ここには本当の人間の生活がありそうです」と伝えているように、少なくとも、小説の書かれた50年前は、小説の舞台と同じ社会が実在していたようです。

一度、訪れてみたいような、訪れてはいけないような。

日本の灯台

nihontoudai.jpg 成山堂書店の「交通ブックスシリーズ」、長岡日出雄著。初版発行が平成5年12月となっていますが、その初版のまま、現在(2008.1)でもamazonで買えました。

15年間も売れなかった本、ということになるので、あまり内容に期待は持てないか・・・?と思いましたがさにあらず。大変、中身の濃い、読み応えのある本でした。

著者の長岡氏は官僚出身。第3管区海上保安本部長、海上保安庁灯台部長、さらにはIALA(国際航路標識協会)の会長まで歴任した人のようですが、「灯台」に対しての思いいれはアマチュア並に強いようです。

灯台の歴史、灯台にまつわる文学作品や映画、灯台守の話など薀蓄に満ちた話も多いですし、現代の灯台について、その技術やサービスについての解説もあります。灯台放送に関する記述は、このサイトの別の記事でも引用させていただきました。

普通の解説書では、「それは海保でこう決められている」というような事実の解説が多いですが、著者の場合、航路標識や灯台業務に関するさまざまなルールを「制定する側」の立場で、実際にさまざまなルールを作って来られた経験にもとづく話は、なかなか他では読めない話かと思います。

灯台について色々知りたい、というかたには必読書かもしれません。

島と岬の灯台めぐり

shimatomisaki.jpg 日本一の「島博士」本木修次さんの著書。ハート出版。

副題が「日本一周、ノサップから波照間まで」とあるよう、日本列島の端から端まで、233もの灯台への訪問記です。各灯台のスペックを詳しく知るための解説書ではなく、実際に訪問しての印象を中心に記述されています。

だいたい、灯台というのは地形的に「端っこ」になっている場所にあるため、辺鄙な場所や、離島などに設置されていることが多く、簡単に訪問できる場所ばかりとは限らないようです。この本の中にも、小船をチャーターしたり、けものみちのような道を分け入ったりという、訪問というよりも探検に近いような記述もたくさん出てきます。

私がつくづく感心したのは、著者の本木さんというのは、決してコレクター的なマニアではないという点です。時々見かける「JR全駅制覇」みたいなコレクター的なマニアは、駅が好きというよりも、チェックリストの塗りつぶしに快感を覚えるようで、一度経験した場所は、「もうそこは経験済み」ということで見向きもしないことが多いようなのですが、本木さんの場合、実に50年以上をかけて、辺鄙な場所の灯台にも「何度も何度も繰り返して」訪問されているのです。

灯台に対する愛情と熱意のなせる技なんでしょうね。

ただ、それぞれの灯台についての訪問記自体は、感情移入が強すぎて、少し引いてしまう人もいるかもしれません。ほとんどの灯台を「すらりとした美人」「かわいい娘っこ」「日本健児」などと擬人化しているという点もその1つです。
また、表現自体が例えば「帰り道はもう腹ぺこ、くたびれ。でも両側は絶壁の細い道、用心、用心。」というように、他人に読ませているのか自分に言い聞かせているのか不分明な記述になっているところが多々あるのも、引っかかる人は引っかかるかもしれません。

ただ、日本には本当にいろんなバリエーションの灯台があり、とんでもなく辺鄙な場所に設置されているということを、改めて認識させてくれる貴重な本です。もちろん、実際に灯台を訪問する際のガイドブックとしても役立つのも間違いありません。一読の価値ありです。

表紙の写真の灯台は、「新:喜びも悲しみも幾年月」にも登場した、水の子島灯台です。

灯台守の恋

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フランスのブルターニュ地方に実在する、ル・ジュマン灯台を舞台にしたせつない物語。

1963年、アルジェリアからの負傷帰還兵、元時計職人のアントワーヌ(グレゴリ・デランジェール)が、新人灯台要員としてジュマン灯台に着任する。ブルターニュ地方というのはかなり排他的な土地柄であったようで、灯台守の人々や土地の男達からはずいぶん冷たいあしらいを受けてしまう・・というところから本編が始まる。

 政府が帰還兵のために用意してくれた選択肢は他にも財務局勤務など、ラクそうなものが色々あったにもかかわらず、アントワーヌが「好き好んで」最果ての地の灯台勤務を志願したというというのはアントワーヌの心の傷がなせる業だが、同時に、灯台というものが「心に傷を負ったものが行くべき場所」というイメージもあるのかもしれない。

調和の取れた田舎の生活、いわば感情の振幅があまり大きくない生活に慣れ親しんでいた人たちの中にアントワーヌという異邦人が入り込んだことが触媒になり、人々の感情の振幅が増大されてしまう。

その結果、それまで「心はひとつ。同じブルターニュ人」とお互いに思っていた人たちの中でも、異邦人を排除したい者たちばかりではなく、実は田舎の閉塞感に辟易していたことを自覚する者も出てくる。やがて、アントワーヌと友情を結ぶイヴォン(フィリップ・トレトン)、アントワーヌと恋に落ちてしまうマベ(サンドリーヌ・ボネール)は後者の典型だ。しかしイヴォンとマベは仲睦まじい夫婦でもあったのだ。

大変に繊細な映画で、ラフなストーリーを書いてしまうと興醒めかもしれないので、内容の紹介は以上にとどめる。もう少し詳しく知りたい人は実際に映画を見ていただくのが一番だが、2005年に日本で公開されたときの公式サイトを今でも見ることができるのでそちらを参照されたい。

とにかく驚くのはジュマン灯台の立地。なんと海の中に灯台だけがにょっきりと屹立しているのだ。船着場なども無く、要員交代は灯台からロープを垂らして行う。波風が強いときなどは、灯台に辿りつくことがすでに命懸けだ。(さすがに1991年からは無人化・自動化されたと映画の中で出てくる)

また、妙なところで興味を引かれてしまったのは、灯台守は休めない、気を抜けない仕事であると同時に日中の無聊を持て余す仕事でもあるという点だ。この映画ではイヴォンが勤務中に意味無く何十脚もの椅子を作り続けるシーンが出てくる。分刻みで刺激を求め続けることが多い現代人は、こんな環境に放り込まれると正常な精神を保つことが難しいかもしれない。

新・喜びも悲しみも幾歳月(映画)

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1986年の松竹映画、監督は前作と同じ木下恵介。主演は加藤剛と大原麗子。

前作が、生活感あふれるシーンが多いにもかかわらず全体にどことなく透明感が漂っていたのに対し、本作はリアルな現実感がある。

もちろんこれは前作の時代背景が戦前・戦中・戦後であり、現代人からすると別の世界の出来事であるかのような錯覚に陥るからであろうが、もうひとつ、登場する灯台の景色が左右している部分も大きいと思う。

前作では、石狩灯台とか女島灯台など、そこで生きていくこと自体がすでに大きな試練であるかのような灯台が強烈な印象を残した。過酷な生活に耐え切れずに亡くなってしまう婦人、戦争中に標的とされた灯台で殉職した人たちなど、「死」というモチーフもそこかしこに登場してくる。

しかし本作では、石廊崎、八丈島など、全体に明るいイメージの灯台が多いのだ。大原麗子の演じる「おしゃべりで明るい奥さん」もそのイメージを増幅している。大ざっぱにまとめると、本作は、前作ほどの厳しさは無く、「ちょっとしんみりするホームドラマ」ということになるのかもしれない。

ただ、灯台好きな人にとっては興味が尽きないシーンが多い。

石廊崎で加藤剛がデスクに向かって放送する灯台放送。「各局、各局、各局、こちらは、いろう、いろう、いろう。海上保安庁が、石廊崎灯台の、気象状況をお知らせします」という、聞き慣れた?フレーズが映画に登場してくるというのもちょっと嬉しい。

今でこそ大阪ハーバーレーダー以外は全て合成音声になっているが、昔は各灯台から、映画に出てきたような、こじんまりした放送施設を使って手作り放送していたのだろうなと思うと感慨深い。

また、豊後水道沖の孤島に聳える水の子島灯台。前作では遠景だけが登場し、船からそれを眺めるきよ子(高峰秀子)が夫(佐田啓二)から、「あんな灯台(に赴任するというのは)どうだ?」と問われて「ぞっとするわ」と答えていたが、本作では実際に水の子島灯台で仕事をしている男たちのシーンも登場する。

それ以外にも数多くの灯台が登場するが、前作で登場した灯台とほとんど重なっていないというのも色々と新しい発見ができて面白い。

喜びも悲しみも幾歳月(映画)

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1957年公開という、50年も前の映画の話。(木下恵介監督)

この映画、佐田啓二 (中井貴一のお父上)と高峰秀子主演で、当時相当に好評を博したようで、その後テレビドラマ化されること3シリーズ、さらには主演を加藤剛と大原麗子で「新:喜びも悲しみも幾歳月(1986)」というリメイク版が作られたほど有名な映画です。

なんでそれをここでご紹介するかというと、これはまぎれもない「灯台映画」であるからです。もちろん、灯台はあくまでもモチーフで、人生をテーマにした深い映画なのですが、戦前から戦後にかけて日本各地の灯台を守った灯台守の人たちの記録映画であるというような見方もできます。

なにしろ、主人公の生活の舞台として登場してくる灯台だけでも、観音崎灯台(神奈川)、石狩灯台(北海道)、女島灯台(長崎沖)、弾崎灯台(佐渡島)、御前崎灯台(静岡)、安乗崎灯台(三重)、男木島灯台(香川)、最後にもう1度御前崎灯台。

ワンショットだけ登場してくる灯台も含めると、大島、水子島(豊後水道沖)、金華山、塩屋崎、尻屋崎、犬吠埼、綾里崎。

原作は、「田中きよ」さんという、灯台守のご主人を持つ方が、1956年に「婦人倶楽部」という雑誌に発表した『海を守る夫とともに二十年』という手記だそうで、描写がリアルなのもうなずけます。(映画の、灯台守夫人の「きよ子」は、田中きよさんを示しているそうです)

で、見終わっての感想なのですが、灯台守の厳しい生活をリアルに描写した、一見、生活感あふれるシーンが多いにもかかわらず、全体に奇妙な透明感が漂っています。全てが身近な日本の出来事では無いような、さらにはこの世の出来事では無いような印象が強いのです。

灯台を守る、というのは、工場を守るというような人為のなせる業ではなく、まるで海の神様を祀る祠を守っているような錯覚に陥ってしまいました。

ストーリーそのものは、現代の感覚からするとやや抑制が効きすぎている感もありますが、そのことがなお一層、モチーフである灯台を際立たせているようです。一度ご覧あれ。

岬と燈台

misakito.jpg暁教育図書というところから出版された、「日本発見」シリーズの第35巻。発行は昭和57年という、消費税導入以前の古い本ですが、今でも古書店やオークションサイトなどでわりとたくさん流通しているようです。

とにかく内容が濃い。濃すぎるくらいです。巻頭特集の納沙布岬をはじめ、いわゆる灯台紹介の記事も多いですが、『岬の文学散歩』というコーナーでは岬や灯台をモチーフとして書かれた、井上靖や太宰治、庄野潤三ら多くの作品が紹介されています。

かたや「オリエンタルホテルの灯台悲願」や「洋式灯台の移り変わり」などの解説風読み物も豊富。男木島灯台(瀬戸内海)に勤務中(当時)の灯台守夫妻への取材記事もあれば、岬とか灯台にまつわる民話や伝説も収録されています。歴史記事としては、洋式灯台創設の立役者となったブラントンや、初代燈台頭となった佐野常民の紹介などもあります。

用語辞典や年表、年中行事、「岬と燈台全国ガイド」などもまとめられており、これ1冊で岬と灯台に関するポータルサイトができあがりそうなくらいです。

もちろん25年も前の本なので、GPSを前提とした現代の灯台のありかたとは方式論などが異なる部分もありますが、今読んでも充分に楽しめる1冊です。機会があれば図書館でも良いので一度手に取ってみる価値ありと思います。

ちなみに、表紙のまぶしい灯台は佐田岬灯台のようです。(先日まで佐多岬と書き間違えてました、スミマセン)

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