最後の灯台守

灯台守というと、人里離れ、世間と隔絶された灯台で、沖行く船の安全のために黙々と働く人たち。そのストイックさはまるで修行僧のようだ、というイメージがありました。

実際それは比喩ではなく、無人島に立てられた灯台の勤務などは、灯台管理の仕事に加えて、飲料水や燃料の確保など、まずそこで生きていくための苦労も多かったようです。なので、ロマンに満ちたように見える灯台守の仕事も、労働環境・生活環境という点では人道的な問題ともいえるような問題が多々あり、『灯台の無人化』というのは、テクノロジーの発達による合理化観点の所作というだけでなく、昔からの悲願であったようです。

とにかく、日本では、2006年11月12日、最後の有人灯台であった長崎県沖合の女島灯台の自動化が完了し、続く12月5日をもって無人化も完了。最盛期には1,100人もいたといわれる『灯台守』という職業が日本から消滅したのです。

ちなみに、他の国ではどうだったのかと気になって色々検索したところ、アメリカ(合衆国)での最後の灯台守の記事が見つかりました。アメリカでは日本より早く、1998年には国が管理する有人灯台はなくなりました。(最後まで残った有人灯台はBoston lighthouseで、CoastGuardの人たちが面倒を見ていたようです)

ところがアメリカの場合、日本と違って、公務員が管理する灯台だけでなく、企業や個人が管理する灯台(もちろん、CoastGuardとの契約の上、でしょうけど)も多くありました。ですので、灯台が自動化された後も本人の意思で灯台に残った人もいたようで、いわゆる「最後の灯台守」として名前が出てくるのは、ニューヨークはブルックリンにあった「Coney Island Lighthouse」の灯台守、Mr.Frank Shubert という名前です。コニーアイランド灯台自体は1980年代に自動化されていたそうなのですが、このかたは2003年12月に亡くなるまでこの灯台で働き続けていたということです。

ご参考:女島灯台無人化の記事。日本の灯台守は公務員だったのでしかたが無いのでしょうが、「最後の灯台守」という勲章が冠せられたかたのお名前は公表されていないようです。

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