潮騒(三島由紀夫)

shiosai.jpg 灯台、または灯台守が主題というわけではなく、灯台や灯台守がモチーフの1つとして描かれている本を上げていけばきりがないような気もしますが、この本については、是非とも取り上げたいと思って書いています。

三島文学の中では特異な位置付けの本らしいのですが、そのあたりの解説はググるといくらでも出てくると思いますので省略します。また、何度も映画化されていますので、映画をご覧になったかたも多いかもしれません。実は私は映画は見ていないので、あくまでも本を読んでの感想です。

とにかく、描かれている景色も、社会も、そして登場人物の全てが「清浄」なのです。もちろん、純愛小説で、主人公の2人の逢瀬を妨害する相手たちとの喜怒哀楽などもあり、貧しい島での所帯じみた描写も多くあります。が、登場してくる人たちの全て、悪役も含めて全ての人たちが、まぶしいくらいにまっすぐで、正直なのです。

自然と共存し、神を信じ、人を疑うということをしない。いくつか印象的な表現を書き抜いてみますと、まず、屈強な海の男である主人公、新治の、神社での祈り。漁の豊穣や、島の人々の幸福、母や弟の健康をまず一生懸命に願い、最後に、おそるおそる初恋の彼女のことをそっと願う。そして「こんな身勝手なお祈りをして、神様は俺に罰をお下しになったりしないだろうか」と心配するような男なのです。

また、新治の母の描写にも「・・・突堤まで行って波の砕けるさまを眺めた。彼女もまた息子と同じように、ものを考えるときには海に相談にゆくのである。」というくだりもあります。

西洋の小賢しい文明に晒される前の、古代の太平洋の島々の出来事だといわれても素直にうなずけそうな社会であり、人々なのです。以前読んだ大人向けの童話で、池澤夏樹の「南の島のティオ」という、ミクロネシアを舞台にしたこれまた純白な小説があるのですが、読後感はそれに近しいものがありました。

そして、それらの清浄な風景の中に実にしっくりと溶け込んでいるのが、島で最も眺めが良い2つの場所の1つとして描かれている燈台なのです。物語のラストは、島中の皆に将来を祝福された2人が、燈台長の案内で燈台を見学するシーンです。燈台の持つ、「清浄さ」というイメージが存分に生かされた小説のような気がします。

解説などを読むと、舞台になった歌島というのは、伊勢湾に実在する「神島」という島なのだそうです。この島は、取材に来た三島が川端康成に送った手紙で「目下、神島という一孤島に来ております。映画館もパチンコ屋も呑み屋も、喫茶店も、すべて『よごれた』ものはなにもありません。この僕まで浄化されてー。ここには本当の人間の生活がありそうです」と伝えているように、少なくとも、小説の書かれた50年前は、小説の舞台と同じ社会が実在していたようです。

一度、訪れてみたいような、訪れてはいけないような。

HTML convert time: 0.305 sec. Powered by WordPress ME